1 会社売却におけるトラブル事例
2 会社売却において前記1のようなトラブルに売主が巻き込まれる原因
3 会社売却におけるトラブルを未然に防ぐ方法、注意点
1 会社売却におけるトラブル事例
(1)はじめに
中小企業のオーナーが、契約に内在するリスクを正しく認識できないままに、不適切な買主にリスクを抱えた契約内容で会社売却を行ってしまい、会社売却後に重大なトラブルに発展する(悪質な買主による詐欺的な被害にあう)事例が多数発生しており、社会問題化しています。
以下では、そうした社会問題化しているトラブル事例を具体的に説明します。
(2)オーナー(会社の売主)の個人保証等が会社売却後も解消されない事例
会社のオーナーは、会社が金融機関から借入を行うにあたって、連帯保証人になったり、オーナー個人の資産(例えば不動産)に担保を設定したりすることも少なくありません。
会社を第三者に売却する場合には、売主は、こうした個人保証や個人資産への担保(以下、「個人保証等」といいます。)が解消されることを前提に会社を売却することが一般的です。
ところが、会社を買収した後も、契約で定めた義務に反して売主の個人保証等を解消しない悪質な買主が存在し、その結果、売主の個人保証等が会社売却後も残り続けることになってしまうという事例が多数発生しています。
さらに、こうした悪質な買主は、後記(3)の事例のように、買収した会社の資産を抜き取り、倒産を余儀なくさせる場合も少なくなく、その場合、売主は、会社を失うだけでなく、倒産した会社の代わりに金融機関から借入金の返済を求められたり、個人資産に設定されている担保を実行されたりするという事態に陥ります。
こうした事例では、たとえ契約書の内容としては買主の契約責任を追及できたとしても、事実上は、そのような悪質な買主からは回収できない可能性が高いため、契約書に買主の義務を定めるだけでは被害を防げないのが実情です。
(3)売却した会社の預金等が抜き取られ当該会社の倒産を余儀なくされた事例
売主は、会社を売却した後もその会社が存続発展していくこと、従業員の雇用が今までどおり維持されることを希望することが一般的です。
ところが、交渉段階では、会社の存続発展を約束をするかのような説明をしていながら、買収後は、会社の資産を抜き取り、会社を倒産させてしまうような悪質な買主が存在し、社会問題化しています。
会社の資産を抜き取られることによって、会社の運転資金が枯渇し、取引先への支払ができなくなり、また、従業員の給与の支払もできなくなります。このような場合、取引先が経営難に陥ったり、会社の従業員が職を失うことになるなど、会社が倒産を余儀なくされるのみならず、会社の関係者にも多大な損害を生じさせることになり、売主の願いとは真逆の悲惨な結果をもたらすことになってしまいます。
こうした事例では、前記(2)でも説明しましたとおり、売主の個人保証等を解消しないままに会社資産の抜き取りが行われる場合も少なくなく、その場合、売主は、支払い能力を失った会社の代わりに金融機関から借入金の返済を求められたり、個人資産に設定されている担保を実行されたりするという悲惨に状況に陥ります。
(4)分割払いとされた会社の購入代金が支払われない事例
会社の売却にあたってその代金の支払方法に分割払いの方法が採用されることがあります。
代金の分割払い自体は珍しいものではありませんが、買主の中には、例えば、クロージングの際の支払額を低く抑えた上で、残りの代金(代金の大部分)を後払いとする約束や、代金額自体は低く抑え、クロージング後の一定期間経過後に役員の退職金という形で支払う(実質的な代金を退職金という形で後払いする)という約束をしながら、実際には支払わず、結局会社の売却代金をほとんど支払わないという悪質な買主も存在し、売主がそうした被害に遭う事例が多数発生しています。
こうした悪質な買主の場合、代金を支払わないことを理由に契約責任を追及したとしても、その時点では既に無資力である(現預金を逃がしている)可能性が高く、やはり前記の事例と同様に、契約書に支払義務を定めるだけでは被害を防げないのが実情です。
2 会社売却において前記1のようなトラブルに売主が巻き込まれる原因
(1)総論
会社売却において売主が前記1のようなトラブルに巻き込まれてしまう直接的な原因は、売主が会社売却に内在するリスクに対する十分な対応策を講じずに、不適切な買主に会社を売却してしまうことにありますが、売主がそのような事態に陥ってしまう構造的な問題が存在します。
ア M&A仲介業者に関する構造の問題
会社売却をしようとする売主は、買主を見つけるためにM&A仲介業者に依頼することが少なくありません。
しかし、M&A仲介業者を取り巻く環境については、以下のとおり、売主の利益が損なわれる危険性の高い基本構造があります。
M&A仲介業者は、業法による規制があるわけではなく、利用者を保護する法制度も整備されていません。
そのため、その業務の質はM&A仲介業者や各担当者によってばらつきがある上に、M&A仲介業者の中には非常に悪質なM&A仲介業者が紛れ込んでいる可能性があり、また、その被害から利用者を守る仕組みも十分ではありません。
M&A仲介業者は、売主と買主の両方から手数料をもらう、いわゆる両手仲介の形をとることが一般的です。
売主と買主の両方を依頼者とする以上、M&A仲介業者に、売主の利益を最大化するための行動を期待することはできません。さらにいえば、後述のとおり成約させることに強い動機を有するM&A仲介業者が、買主との比較において相対的に専門的知識が乏しく説得しやすいことが多い売主を説得する(売主に不利な条件を許容してもらう)ことにより契約を進める可能性も否定できません。
また、M&A仲介業者は、M&Aの成約やその売買代金を基準とする歩合制の報酬体系を取っていることが多く、担当者には、売主や買主の利益よりも、契約の成立を優先する行動をとる動機があることが多いのが実情です。すなわち、売主や買主のそれぞれの利益を追及しようとする場合には、双方の立場から様々なリスクを検討し、リスクを回避するための契約条件を盛り込む必要がありますが、そうした契約条件は、売主と買主との間で利益が相反しますので、交渉が難航し、成約が遅れる結果につながりますので、M&A仲介業者には、当事者のリスクの回避を深く検討するという当事者の利益に適う作業を回避する動機が存在すると考えられます。
このように、M&A仲介業者は、売主の利益の最大化を目指す立場になく、むしろ、成約のために売主の利益を犠牲にする動機を持ちうる立場にあります。
この点については、令和3年10月、「M&A仲介等に係る自主規制団体」として、一般社団法人M&A仲介協会(令和7年1月1日よりM&A支援機関協会に名称変更。)が設立され、令和5年12月には自主規制ルールを公表するなど、業界団体による自主規制ルールにより、仲介業者等の質の向上や、利用者の保護を充実させようとする動きがありますので、そうしたルールを遵守し、利用者保護に配慮したサービスを提供するM&A仲介業者も少なくないと思われますが、利用者を保護する十分な法規制がない以上、売主の利益にどの程度配慮するか(できるか)は、その仲介業者や担当者の倫理観と能力に依存している側面が大きいことは理解しておく必要があります。
イ 売主の立場や能力に起因する問題
売主は会社売却を行うことが初めてであることが大半ですので、会社売却に必要な専門的な知識を十分に有しないことがほとんどです。
そのため、M&A仲介業者の良しあしや、買主候補が信用に値する者であるかなどを見極めることは困難ですし、契約交渉の場面においても、契約条件の妥当性や契約書の内容の妥当性、M&A仲介会社や買主の説明が信用できるものであるかなどを見極めることは困難です。
したがって、売主は、会社売却の場面で、買主やM&A仲介業者の説明を信用して行動するという受動的な形で対応することが多く、なし崩し的に不利な契約を進められてしまう可能性の高い立場に置かれやすい構造にあります。
ウ 小括
こうした構造的な問題があるため、売主の中には、M&A仲介業者から、悪質な買主を紹介され、不利な契約を進められた場合であっても、その悪質性や取引に内在するリスクに気付くことのないままに会社売却を進めてしまい、その結果、会社売却後に重大なトラブルに巻き込まれてしまう売主も少なくなく、実際に多数の被害者が出ており、社会問題化しているというのが実情です。
こうした構造的な問題は、かねてより指摘されているところであり、前記1のトラブル事例の頻発が社会問題化したなどの中小企業のM&Aに関して生じている様々な問題に対応するため、中小企業庁は、令和6年8月に中小M&Aガイドラインを改訂し「中小M&Aガイドライン(第3版)」を公開しています。
「中小M&Aガイドライン(第3版)」では、例えば、「利益相反」の問題について、利益相反に係る禁止事項の具体化や、そうした禁止事項を仲介契約書に仲介者の義務として定める旨を明記すること、「不適切な事業者の排除」について、仲介業者等に、譲り受け側(買主側)に対する調査の実施やその結果の報告をすることや、不適切な事業者の情報の業界内での共有の仕組みづくりの必要性などが明記されるなどの改訂が行われており、前記の構造的な問題の改善に向けた社会的な動きが進められているところです。
もっとも、中小企業庁の公開するこうしたガイドラインは、それ自体が法的な拘束力を持つものではなく、遵守しない事業者が存在する可能性は否定できず、また、こうしたガイドラインの公開によって、M&Aに関与する事業者や専門家の業務の質や体制の改善がどの程度見込めるかも不透明であるため、売主としては、売主の利益が損なわれやすい構造が存在することを理解した上で自衛を図る必要があることにはかわりありません。
(2)前記1(2)のトラブル事例(個人保証トラブル事例)を回避できなかった原因
後記3(2)で説明していますとおり、売主の個人保証等を解消しようとする場合には、会社に対して貸付を行っている金融機関の承諾が必要です。そのため、契約書に買主の義務を定めるだけでは足りませんし、契約書に買主の義務を定めても買主がその義務の履行を怠る可能性がありますので、そうした可能性をふまえて実効性を担保する手当をしておく必要があります。
そして、こうした実効性を担保する手当をすることなく会社売却を進めることは、売主にとって非常にリスクの高い行動であり、本来は行うべきではありません。
しかし、トラブル事例では、売主は、客観的には非常にリスクの高い行動をとっているにもかかわらず、そのことに気づくことができず(M&A仲介会社からもその点についての十分なアドバイスを受けることができず)、十分な対策を講じることのないままに会社売却を進めてしまったために、重大なトラブルに巻き込まれてしまったものと考えられます。
(3)前記1(3)のトラブル事例(会社資産の抜き取りトラブル事例)を回避できなかった原因
後記3(3)で説明していますとおり、会社売却にあたっては、不適切な買主に売却することのないよう、買主の素性や能力、買主の説明内容の真実性などを客観的資料に基づいてしっかりと検証していく必要があります。
また、前記2(1)アで説明しましたとおり、M&A仲介業者が、売主の利益を蔑ろにして成約を急いでいる可能性が排除できませんので、「買主はしっかりとした会社である」、「買主の説明は信用できる」という説明をM&A仲介業者がしたとしてもそれを鵜呑みにするべきではありません。
しかし、トラブル事例では、十分な検証をしないままに、買主自体や買主の説明が信用できるという前提で契約を推し進めてしまったために、実際には買収した会社を存続発展させる意思と能力を有しない(さらには会社の財産を抜き取って倒産させる意思を有する)不適切な買主に売却してしまうこととなり、重大なトラブルに巻き込まれてしまったものと考えられます。
売主としても、契約交渉の過程で不審に感じた点があったかもしれませんが、買主やM&A仲介業者が契約を前に進めようとする状況にあっては、専門的知識が十分でない売主が撤退という選択を強くとることができず、なし崩し的に契約が進められてしまった可能性もあります。
(4)前記1(4)のトラブル事例(代金未払いトラブル事例)を回避できなかった原因
後記3(4)で説明していますとおり、会社の売却代金を分割払いとする場合には、買主の無資力のリスクや不誠実な買主による意図的な不払いのリスクをふまえた対応をする必要があります。
しかし、トラブル事例では、買主の資力その他信用に値する買主であるかどうかの検証を十分に行うことなく、また、後払い代金の支払いを担保するための十分な対応策を講じることなく、契約を進めてしまったために重大なトラブルに巻き込まれてしまったものと考えられます。
3 会社売却におけるトラブルを未然に防ぐ方法、注意点
(1)総論
前記1のトラブルは、売主が、契約に内在するリスクを正しく認識し、そのリスクに対する対策をしっかりと講じていれば、未然に防ぐことが可能であったと考えられます。
売主の利益を追求する厳しい交渉を行えば、その交渉過程で、詐欺的なM&Aを行う悪質な買主を取引から排除することができた可能性が非常に高いと考えられますし、通常の買主との間の会社売却においても、リスクに対する対策をしっかりと講じることで会社売却後のトラブルを未然に防ぐことができます。
(2)前記1(2)のトラブル事例(個人保証トラブル事例)は回避可能であること
会社売却に伴って個人保証等を解消しようとする場合、買主の義務を契約書に定めるだけではトラブルを未然に防ぐことができないことは前記1⑵で説明したとおりです。
個人保証等を解消して買主側に保証や担保を切り替えることが可能かどうかは、会社に対して貸付を行っている金融機関の意向次第ですので、会社売却に伴って円滑に個人保証等の切り替えを行うためには、買主との協議だけでは不十分であり、金融機関も交えた事前協議が必要です。
買主側に十分な資力や信用があれば、金融機関も切り替えを前向きに検討してくれるはずであり、買主も問題なく事前協議に応じるはずです。こうした事前協議が十分にできるのであれば、実際に、買主が個人保証等の切り替えを実行してくれる可能性が高いとみることができますし、契約書に買主の義務やその違反時の効果を定めたり、切り替えが完了した後(同時)にクロージングを行うなどの契約上の工夫によって実効性を確保することができます。
他方、買主が、こうした事前協議を拒否したり、金融機関から全く信用されない場合には、その時点でその買主に不審な点があることに気づくことができます。
また、会社に対して貸付を行っている金融機関との詳細な事前協議は控えたい(内密に会社の買収を進めたい)という事情がある場合には、買主が自己の主要取引先である金融機関から借り入れをして会社の借入金を一括弁済をするという(債権者である金融機関を事実上変更する)方法もあり、それを実行することを契約条件とすることも考えられます。
このように、個人保証等の切り替えの実行が十分に担保される方法で会社売却を進めることは可能であり、こうした対応策を講じることによりトラブルを回避することができます。
(3)前記1(3)のトラブル事例(会社資産の抜き取りトラブル事例)は回避可能であること
売主は、会社を売却した後もその会社が存続発展することを希望するのが一般的です。こうした希望を実現するためには、買収した会社を存続させる意思と能力を有する買主に会社を買い取ってもらうことが必要です。
買主が、その会社を存続発展させる意思や能力を有するかを完全に把握することは難しいものの、買主に関する情報(事業の内容、業績、資産、過去の実績など)や買収後の事業計画の具体的な内容を詳しく検討することによって、かなりの程度把握することは可能であり、その過程で、会社を存続発展させる意思や能力を明らかに欠く不適切な買主を排除することができます。
買主の情報を把握するにあたっては、買主の確定申告書・決算報告書、代表者の本人確認書類など、客観的な資料を提出してもらった上でその内容を検証したり、買主(法人の場合は代表者)との面談、買収後の計画の検証など、状況に応じて様々な方法で検証することが可能であり、こうした検証を丁寧に行う過程で、不適切な買主の場合には、不審な点や不十分な点が出てくることになります。
そして、買主に不審な点や不十分な点が認められた場合には、なし崩し的に取引を継続するのではなく、しっかりと撤退するという判断を行うことが重要であり、こうした判断をしっかりと行うことでトラブルを回避することができます。
(4)前記1(4)のトラブル事例(代金未払いトラブル事例)は回避可能であること
会社売却にあたって代金の支払方法に分割払いの方法が採用されること自体は珍しいことではありませんが、分割払いの場合は、買主の無資力のリスク、不誠実な買主による意図的な不払いのリスクをふまえた対応をする必要があります。
まず、代金の分割払いを許容するとしても、なるべくクロージング時に支払ってもらう代金額が高く、後払いとなる代金額が低くなるように交渉すべきです。その上で、買主の資力を、確定申告書・決算報告書や残高証明書などの客観的資料で確認するとともに、買主自体が信用できる者であるかの調査を前記(3)と同様に行うべきであり、これにより、無資力リスクや不誠実な買主をかなりの程度排除することができます。また、仮に買主が何らかの後発的な事情で支払いを拒否した場合であっても買主に十分な資力があれば契約責任の追及が実効性を持ちます(逆にいえば実体や資力のない詐欺的な買主に対しては契約責任を追及しても回収可能性に疑問があります。)。
さらに、後払い代金の支払いを確実に受けられるように、その代金額に相当する金員を第三者(信託銀行や信託会社等の金融機関)に預けておき、支払時期が到来(あるいは支払条件が成就)したら当該第三者から支払ってもらう仕組み(いわゆるエスクロー信託)を用いる方法もあります。
このように、後払い代金の不払いのリスクをふまえた対応策をしっかり講じることにより、トラブルを回避することができます。
(5)売主の利益の最大化を目指す専門家に依頼する重要性
これまで説明したトラブルを回避する方法に共通することは、売主の利益の最大化のために徹底した交渉を行い、売主のリスク回避に最大限配慮した契約条件で会社売却を行うということになります。
厳しい交渉を行うことにより、それに耐えられない詐欺的なM&Aを行う悪質な買主は自ずと排除できますし、通常の買主との間でも、売主にとってもっとも合理的な内容で会社売却を行うことができ、会社売却後にトラブルに巻き込まれる心配をしなくてすみます。
そして、売主の利益の最大化を目指した厳しい交渉は、会社売却に関する専門的知識(法務、税務、会計の専門的知識)を有した専門家でなければ行うことができませんし、買主に不審な点が認められた場合に正しく撤退するという判断も専門家でなければ難しいといえます。
M&Aの専門家としてはM&A仲介業者がありますが、前記2(1)のとおり、M&A仲介業者は、業界団体による自主規制ルールや中小企業庁の公開するガイドラインにより利用者保護を推進する動きはあるものの、基本的な構造としては、必ずしも売主の利益を最大化する行動をとる立場になく、場合によっては売主の利益を犠牲にして成約を目指す動機を持ち得る立場にありますので、M&A仲介業者に完全に依存して会社売却を行うことは妥当ではありません。
したがって、売主の利益の最大化を目指し、会社売却に伴うトラブルを将来にわたって回避するためには、売主側に立った専門家に依頼することが肝要といえます。
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